町田スイミングクラブ創設と時代背景

 1972年日本経済新聞に掲載された「余暇白書」(レジャー白書)。財団法人 余暇開発センター 理事長 佐橋 滋 氏から大型連休前に発行されました。

 佐橋 滋 氏は元通産省事務次官で、第一次 佐藤内閣時代、「佐橋大臣、三木次官」と評され、「ミスター通産省」という異名があった人物でした。

 「余暇白書」は、高度経済成長期後という時代の要請から生まれたものでありますが、1973年の中東戦争による石油ショックのインフレ時代 、1995年1月17日の阪神淡路大震災、2008年9月15日のリーマンショック、2011年3月11日の東日本大震災等、種々の苦難を経て、2020年代には、余暇市場の規模は多様化し、72兆円に拡大しております。

 しかし、世界的に新型コロナウイルス 感染が起こり、日本では、「ダイヤモンド・プリンセス号」等、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、スポーツクラブやその他のスポーツを始め、多くの企業も曲がり角に差し掛かっております。

町田スイミングクラブ

 余暇の週休2日制の始まりは、1965年に松下幸之助氏の号令の下、松下電器産業(現パナソニック)が始まりだそうです。他の企業が導入し始めたのは、それから15年も後の1980年頃なのだそうです。 銀行の土曜日休業は、1983年8月13日の土曜日、この日から毎月第2土曜日は、銀行や証券会社が休業になりました。今でこそ、完全週休2日制ですが、 公立学校に於ける学校週5日制の導入は、1992年から段階的に実施され2002年度から完全導入されました。

 国家公務員の完全週休二日制実施は、1992年5月1日から。これに歩みを合わせるように土、日を休みにした会社が増加しました。 こうした余暇の時代背景がある訳ですが、 私、越水 源造は、1972年の「余暇白書」の記事を読み、当時、財団法人 余暇開発センターの事務局が、帝国ホテル内にありましたので、佐橋 滋氏に直接面談し、「これから盛んになるスポーツは何ですか?」「又、中でもスポーツクラブは如何ですか?」と尋ねました。 「採算は取れないが、スイミングクラブの方が、どちらかと言えば、まだ、ましだ。」と言われました。 そこで、田園調布の波多野 勲氏を紹介して頂き、訪ねました。

 波多野 勲氏は、日本で初めての民間のスイミングクラブを多摩川に創設し、又1969年9月品川とびうおスイミングクラブ、1970年とびうお杉並スイミングクラブを古橋廣之進氏、町野 和男氏と共に創設し、日本の「水泳教室」の基準造リと日本のスイミングクラブ発展の創始者として大きく貢献された方です。私はこの波多野氏に、プール設計から企画、運営、指導を依頼し、1975年、町田市内に初めての25m室内温水公認プールを創設し、2年間お世話になりました。