スイミングクラブ概要

町田スイミングクラブのオープン 1975年7月4日(土)
会社創立登記は  所在地 町田市中町2丁目18番6号     
2023年現在、セブンイレブン中町店の所

株式会社 町田スイミングクラブ 1975年3月17日(月) 登記日
ヘッドコーチ及びクラブ長として、とびうお杉並スイミングクラブの長沢 靖夫氏を迎えて指導して頂き、3年後には、会員数が、3000名を超えるまでに発展致しました。 夏休みの短期コースの募集では長蛇の列が出来る程の盛況でした。 波多野 勲氏は1996年7月6日 65歳で若くして逝去されましたが、私、越水 源造は感謝の念でいっぱいでございます。本当にありがとうございました。波多野 勲氏はヘルパー法を開発して進級基準を確立し多人数指導することに成功して日本の水泳界を盛況に導いた事業家です。

〇町田市水泳協会

町田市水泳協会について

連盟結成年月昭和52年12月(1977年)
体協加盟年月昭和54年4月 (1979年)

平成9年度役員 (1997年)
体協加盟後 18年経過

【初代 会長】井上 恭一
【会長】押田 正
【副会長】前田 高穂
【理事】石田 健郎 山本 芳男 金井 茂夫 木目 田元 鈴木 政五郎 寺田 嘉明 柚木 主則 山本 美津江 
千葉 豊子 永楽 英子 中村 和子  水口 秀大
【会計理事】小林 進
【監事】関島 盛次郎
【理事事務局長】越水 源造
【連絡先】越水 源造
2014年12月11日以来引越し 2020年9月現在
中央区佃2ー2リバーシティ21 10ー1909
電話 03ー5560ー7769
FAX 03ー5560ー7769

[ あゆみ ]

 町田市水泳協会 主催の第1回町田市水泳大会は、昭和54年8月17日 (1979年)、町田市内初めての25m 室内温水公認プールである町田スイミングクラブに於いて690名の参加者が集いリレー種目の大歓声から始まりました。

 昭和54年、現在会長である押田正 市議会議員(元市議会議長)のご協力により、町田市水泳協会は、現在の町田市教育委員長である井上 恭一氏を初代会長に迎えて、町田市体育協会へ正式に加盟致しました。 以後10年間、町田市水泳大会は、 町田スイミングクラブに於いて開催されました。

 その後平成元年(昭和64年、1989年)に町田市立室内プール(50m公認)が完成し、以来今日まで19回の町田市水泳大会が開催され、現在では、1000名の参加者で大会は毎年、活況を呈しております。 特に、室内プールでは、コンピューター操作による大きな電光掲示板に成績が発表され、市民から好評を得ております。

 当協会が、発足して以来の一番の誇りは、東京都市町村大会に於いて、第26回大会、平成4年の稲城市主催大会で女子総合優勝、男子2位。 第28回大会、平成6年の東村山主催大会で、男子総合優勝を達成しており、東京都内の30市に於いて、常に上位入賞を果たしていることです。

 これからも当協会が益々発展するよう市民の方々のご協力をお願い申し上げます。 越水 源造

町田市体育協会 創立50周年記念誌 あゆみ 2より

〇プール公認の件

 町田市立室内50mプール公認の件。1989年10月16日室内温水プールがオープンいたしましたが、公認プールにしたい旨、町田市側からの要望に基づき、日本水泳連盟会長の古橋廣之進さん、東京都水泳協会会長の菊池章さんを大下勝正町田市長、寺田和雄助役、牧田秀也助役、亀崎治男スポーツ課長そして越水源造が、鶴川(与作)に於いて紹介して面談致しました。 その際、観覧席の仕切りガラスは、泳者の選手に声が届かず、応援の臨場感が無くなるからと、古橋廣之進日本水泳連盟会長と越水 源造が反対致しましたが、受け入れられませんでした。 しかし公認プールとしては承認されました。

町田スイミングクラブ 代表 越水 源造

〇町田スイミングクラブの概要と記録

町田市内初めての 25m室内温水公認プール
1階 25m✖️13m✖️1.1m 6コース 水温 30度 日本水泳連盟公認 No.2198
サウナ室付き/男女 シャワールーム・トイレ

2階 体操場/男女 ロッカールーム /喫茶室/観覧席/トレーニング機器

○ 電光掲示板 自動計測器付き
データータイム(セイコー) 1位、2位、3位

○ 町田スイミングクラブ オープン 1975年7月4日(土)

○ 会社創立登記 株式会社 町田スイミングクラブ 1975年3月17日(月)

○ 会社役員
取締役 越水 源造
取締役 波多野 勲 会長
インターナショナル スイミング 取締役 鈴木 政五郎
八千代銀行 専務 取締役 千坂 宰太(千坂研究所 所長)

○ クラブ長
長沢 靖夫 元とびうお杉並スイミングクラブ ヘッドコーチ

○コーチ
専任コーチ 8名/サブコーチ 数十名/事務職 2名

○ 顧問には
古橋廣之進 氏 日本水泳連盟会長
ロスアンゼルス 全米水上選手権大会 1949年8月18日 男子1500m自由型 優勝 1着 18分29秒9 世界新記録 2着 橋爪 四郎 18分32秒6 世界新記録
この時、米国のマスコミが、 The Fiying Fish of Fujiyama と呼んだことから 日本では、「フジヤマのとびうお」 と呼ばれた。

小野 三嗣 先生
慈恵医大教授 運動生理学 学芸大学教授 1964年 東京オリンピック 重量挙げ トレーニング・ドクター 三宅義信 優勝 他全員入賞に貢献 又、1万歩 提唱者で有名。手術して退院したら、すぐに 歩く事の提唱者で有名。

馬詰 良樹 先生
慈恵医大教授 運動と栄養 筋の運動生理とトレーニング効果 運動生理学から見た筋疲労

○ 日本で最初のベビースイミング を指導したコーチ 曽和 広子
町田スイミングクラブは 波多野 勲氏と小野 三嗣先生の指導の元、日本で最初の ベビースイミングを指導したクラブです。 1996年夏のジュニアオリンピックに於いて200m自由形で優勝した吉原 健 選手は ベビースイミングから泳ぎを始め、その成果と言って良いと思います。

1978年8月9日(水) (昭和53年)
日本経済新聞 夕刊の一面に [水]と題して 潜水も自由自在の豆スイマー。 こわがることもなく水と戯れている(東京・町田市の町田スイミングで)写真入りでベビースイミングが、掲載されております。

○ オーストラリア チーム
カーライル コーチ夫妻 2ビート泳法 指導 創始者 1975年4月16日来訪 当時オーストラリア選手は 世界記録続出でした。


○ 東京オリンピック1964年
3冠 優勝 (アメリカ)
ドン・ショランダー
男子100m自由型53秒4
男子400m自由型4分12秒2
男子4✖️200自由型リレー 7分52秒1
スティーブン・クラーク/ロイ・サーリ/ゲイリー・イルマン/ドン・シヨランダ
模範泳法1976年5月4日
2階観覧席から会員、父兄に披露

○ モントリオールオリンピック 1976年
3冠 優勝 (アメリカ)
ジム・モンゴメリー
男子100m自由型49秒99
人類史上初めて50秒を切る
男子4✖️100mメドレーリレー 3分42秒22
ジョン・ネイバー/ジョン・ヘンケン/マット・ウ”オーゲル/ジム・モンゴメリー
男子4✖️200m自由型リレー 7分23秒22
マイク・ブルーナー/ブルース・ファーニス/ジョン・ネイバー/ジム・モンゴメリー 
模範泳法 1977年12月10日
2階観覧席から会員、父兄に披露

○ 競技会
多摩地域には公認プールは 金子スイミングスクール藤村学園 町田スイミングクラブしかありませんでした。
多摩地域の春秋の公認記録会
新年フェスティバル
品川とびうおスイミングクラブ・ とびうお杉並スイミングクラブ・町田スイミングクラブ の3クラブ対抗戦が 町田スイミングクラブ に於いて開催されました。 クラブ対抗戦のリレー競技ではクラブ毎の応援で、大歓声が上がり場内は臨場感に溢れて凄かった。

○ 進級テスト
町田スイミングクラブの進級テストは15級〜1級まで日曜日に開催されました。 父兄のお爺ちゃん、お婆ちゃんまで2階観覧席に来場されて、 ここでも生き生きとした応援の歓声が上がりました。

1級 100m 個人メドレー完泳
1、 バタフライ 25m
2、 背泳ぎ 25m
3、 平泳ぎ 25m
4、 クロール 25m 7級、6級
25m背泳ぎ、25mクロール 完泳し合格した子供達は、町田スイミングクラブが 閉館した1996年12月31日(火) までの21年間で約5万人育成する事が出来ました。

○ 送迎バス
中型 バス 2台 小型 バス 1台 山崎団地、木曽団地、藤野台団地 成瀬台、鶴川団地方面

閉館について

町田スイミングクラブのクラブ長の永沢靖夫が1996年9月20日自宅に於いて急逝し、又、当時町田市の若年層の少子化が始まり、小学校・中学校の閉校が予測されましたので1996年12月31日を以って閉館致しました。

参考までに
2001年3月31日 忠生第四小学校・木曽小学校 閉校
2002年3月31日 本町田西小学校・緑ヶ丘小学校・原小学校 閉校
2003年3月31日 忠生第6小学校・忠生第7小学校・忠生第5小学校  閉校
2011年3月31日 本町田中学校 閉校

最後に、町田スイミングクラブを長年にわたりご愛顧頂いた会員並びにご父兄の方々、ご指導、お世話頂いた専任コーチ、サブコーチの方々、事務職員の方々、日本水泳連盟の方々、東京都水泳協会の方々、日本スイミングクラブ協会、町田市体育協会の方々、町田市水泳協会の方々に対し厚くお礼申し上げます。誠に、有難うございました。